年末の谷川岳③ 12月21日 ~錯誤と試行~

 

 

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土合駅名物の階段


2019年12月21日 8:37 長岡行の鈍行は暗闇の中の停車場に停まる。言わずと知れた、上越線土合駅の下りホームである。上越国境の山嶺を貫く新清水トンネルの真ん中にあるこのホームは、地下70m、462段の階段によって外界から隔絶されている。この長い階段を抜けて駅から30分ほど歩いた先に、谷川登山の拠点であるベースプラザがある。普通の登山者ならさっさと駅を後にするのだろうが、そこは鉄ヲタ。小学生時代からの憧れの駅に着くや否や、趣味の駅構内観察をせずにはいられない()しかも、なかなか観察のし甲斐があるのだ。

例えば、この駅の下りホームはもともとのホームの先に新しく付け足されたものだとわかる。新清水トンネルが単線トンネルだということを思えば、もともとのホームは本線から分岐した待避線上にあり、本数が多かった頃は、この駅で通過待ちをしていたのではないか。角栄よろしく上越新幹線が開通し、本数が減って待避線が不要となったために、かつての待避線上に新しくホームを新設して本線上にホームが接している現在の形になったのではないか、と軽く推測がつく。昔からの形を留めている駅ではこの手の推測が可能であり、平気で数十分の時間をつぶせる。駅構内が広いというもあるにせよ、観察を終えるのに40分も要してしまった()

 

 

 ベースプラザ(770m)に着く。駅からの谷沿いの道はまだ続いていて、西黒尾根や一の倉沢など屈指の登攀路が聳えているが、さすがにスルーである。ベースプラザからは谷川ロープウェイが動いていて、400m以上の高低差をショートカットできる。今回の計画では、ロープウェイの終点天神平(1320m)から、天神尾根を経由して山頂のトマノ耳(1963m)、余力があればその少し先のオキノ耳までのピストン、ということにしていた。無雪期のコースタイムは登りで二時間半ほど。距離的には決して無茶な計画ではない(だろう)が、そこは冬山、やはり体力の消耗はより激しいだろうし、天気にはいつも以上に過敏になる必要もある。また今回はロープウェイの下りの最終(16時)に間に合わす必要がある。だから、何があっても13時から13時半までがタイムリミットで、それ以降は即下山開始だな、と心に決めつつ、ロープウェイに乗った。

 

 天神平に着いた。ロープウェイの車窓から既に見えていたけれど、

               雪!

 実のところ、土合駅やベースプラザ付近の標高では、積雪を見出すことができなかった。谷川は日本海からの湿った北風がもろにぶつかる山々だからかなり異常事態だと言える。天神平ですら積雪40㎝という有様で降雪もなく、この年の異常な暖冬傾向を目の当たりとすることになった。だが、冬山初心者からすればこの上ない僥倖ではないか。この積雪ならラッセルもないだろうし、これはワンチャン登頂も夢ではない。こんなわけで若干有頂点になりながらも、準備を始める。のだが、……

 

 あれ、アイゼンってどうやってつけるんけ???

 

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私が購入したのと同じモデルのアイゼン。石鎚も見越して12本刃にした

 

 アイゼンとは、いわば冬山用のスパイクであり、登山靴の底に取り付けてアイゼンの刃を雪面に踏み込ませることで、グリップ力を高めて滑落を防止する、冬山のマストアイテムである。そのアイゼンの取り付け方が、わからない。Google先生の知恵を借りようとしたが、そこは○○モバイルの悲しい性。わりかし開けた稜線上のくせに圏外になってやがる。ヤバい、と焦り始めた。

ややあって、買ったときに店員さんが付け方をレクチャーしてくれてたことを思い出した。そうだ。こんな感じだ。アイゼンの形状を見れば、おおよそこんなものであろう。取り敢えずはこれでヨシ!そんなこんなで登り始めた。

 

 

 改めて周りを見渡してみると、やはりと言うべきか、単独行者は見当たらない。まず、天神平にはスキー場があって、若い男女が騒ぎながらスノボをしている。登山者たちはというと、ほぼほぼ中年単独のパーティーか、モンベルとかが主催しているツアーに参加しているやはり中年の連中である。何というか、こういう人気の山域にいると、街での人間模様がそのまま山でも反映されていて、ウェイな方々は山でも身内でウェイウェイやってるし、ぼっちは何処まで行ってもぼっちである。当然誰も私に話しかけてこないし、私もそれをいちいち期待することもない。

そうは言っても 未経験の冬山。できれば経験者に教えを乞いたいが、ガチ勢のパーティーに交渉するのは気が引けるし、ツアーのインストラクターに凸る度胸もない。例えば、ピッケルの使い方一つとっても、ヤマケイとかで情報取集しているとはいえ、確信が持てない。あるいは、ツアー連中がちょっとした斜面でロープを使って登っているのを見ても、そのロープ使いたいなぁ()とか、ロープなし身一つで登れんのかコレとか、不安は尽きない。そうは言っても、ここまで来た以上は逃げるのもアホらしい。それに、トレースはしっかりしているから、道迷いの心配もない。取り敢えずはこの先達たちの後を追おう、ということだけ考えた。

 

 

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谷川主脈の一つ、万太郎山

しばらくすると、ピークらしきに出た。地図で確認すると、天神山から天神尾根へと向かう道の途上であった。どうやらツアー客はこの辺で折り返しているようで、一気に人が減り、しかも行き交う人々はすべからくガチ勢感が溢れていた。ここからが本当の闘いって奴だろうか。そして、斜面やガスに遮られて見えなかったその先に、つヤマケイで何度か目にした白い峰が、折よく見えた。他の登山者が言うには万太郎山らしい。これが谷川か、と身震いした。この景色を目の前にして、程よく開けていた所を探し、軽い昼飯を取りつつ今後の予定を軽く考える。考えるのだが、、

この時すでに、13時20分!

そう、例の撤退開始時間になってしまっている。実は天神平に着いたのは大体10時20分なのだが、アイゼンの取り付けに手間取って11時20分、しかも、斜面が怖くて天神平周辺でボーとしたのもあり、実際の出発は11時40分である。にしても遅すぎる。そう、さらなる問題が発生していたのである。それは、

 

アイゼンが脱げる!

 

それも、二、三度とか、そういうレベルではない。何なら、四、五歩に一遍とかいうレベルである。確実に履き方に問題があるのは明白だった。しかし、斜面上ではそれを直すようなスペースもないし、後ろからも登って来るため、止まろうにも止まりずらい。そこまで積雪もないし、結局アイゼンを履かずにそのまま登っていた時もある。したがって、まずはこの脱げる原因を突き止めねばならないし、時間的制約を無視するにしても、登頂する気も全く失せていた。取り敢えず、脱げないようにしよう、そしていける所まで行こう、を方針とすることにした。

取り敢えず、アイゼンを脱いでみた。すると、アイゼンに左右があることを知った。これだ!と直感した。多分これが脱げる原因やなと直感し、左右を意識して履いた。そして、歩き始めた。中々脱げない。うん、これだ!行けるぞ!行けるぞ!

そう思って歩を進めると、下手に道が見えた。天神平からの最短経路であり、これが天神尾根の道だった。道幅も狭くなっている。というわけで、わけなく尾根道に合流した時だった。脱げた。付け直す。二歩歩く。また、脱げた。

この瞬間、何も解決していないことが分かった。

 

次第に、すれ違う人たちが増えた。多分山から降りてきているのだろう。今までは脱げても人が来ないから安心していた側面があったが、さすがにここまですれ違うと、さすがに肩身が狭い。一方通行の道路を反対方向に進んでしまい、進行方向を順守している大型トラックの運ちゃんに睨まれるような感覚である。どうせ山頂に行けることないし、それ以上にアイゼンの問題をどげんかせんといかん、という思いが強くなった。結局、14時18分、谷川の山容が綺麗に写せそうなスポットを見つけ、これを以て撤退を決めた。アイゼンはやはり脱げるので、雪も十分踏み固まっていたのもあり、登山靴だけで歩き、15時少し前、天神平のロープウェイ乗り場に着いた。

 

改めて、アイゼンを見てみる。すると、長さが変わるじゃないか。まあこれ自体には気づいていたが、動かないと思っていたピンの部分が動くではないか。そしてちゃんとピンで固定できるではないか。要は、今まではピンで固定していなかった分、長さが固定されておらず、結果すぐ脱げていたのではないか。

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アイゼン(クランポン)の取り付け方。

厳密には私のやつとはタイプが違うが、4番の長さ調整のやり方は同じであり、当初これを怠っていた。このため、アホみたいにアイゼンが脱げていたのだ。

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左手が谷川岳トマノ耳、右手には清水峠方面の稜線



 アイゼンを付け直したうえで、少し歩いてみる。案の定全然外れないし、しっかりとしたグリップ感がある。これならいける、と確信した。そうは言っても、もう時間的には無理だし、ビバークは現実的ではない。十数分後にはロープウェイに乗ることになるだろう。改めて、谷川の峰を見据える。天神平に来た時とは違って、ガスも晴れ、空の爽やかな青に雪の白と岩の黒が鮮やかだった。いわゆるVというやつで、天気が変わりやすい谷川にあっては登山日和な方だろう。それなのに、こんなヘマをやるとは惜しいことをした、と悔いた。はて、この山を再び登る日は来るのだろうか。そんなことを考えた。

 

 

ロープウェイに乗った。行は一人だったが、帰りの今回は50代後半くらいの夫婦と一緒だった。こういう時、往々にして気まずい沈黙が起こりがちだが、向こうが話しかけてきた。

 

「谷川行って来たんですか?私たちはスキーですけども」

「はい、でも初心者なんで全然進んでなくて。訓練と割り切って、今回は天神平周辺を周回してきました」

アイゼンの付け方が分からなかったとは言えず、多少話を盛った。

「いやぁ、一人で来るなんて大概ですな。ようやりますわ。若いってやっぱいいね」

「そうね、私たちには厳しいね。ところで今日はもう帰られるんですか。私たちは麓の湯檜曽温泉に泊まって、明日も滑ろうかなって思ってるの」

「いやぁどうしましょ、まだ決めとらんです。如何せん18切符なんで移動の自由は効きますからねー。まあ明日も暇ですけん、どっか温泉行くのもアリですなあ。」

これを言った時だった。

 

明日も登れるんやね?

 

今、そんなに疲労感もない。悔しさもあり、体も登りたがっている。メンタル、フィジカルの面で不足はない。実は元々の計画では翌22日に決行する予定だったが、今日21日の方が天気が良いということで、21日に変えたという経緯がある。だから、22日に問題がなさそうなら、行っても良いんじゃね、と思った。そんなわけで、こんな話を振ってみた。

 

「いやぁ、にしても天気良かったですね。もう少しガスるかと思ってましたよ。いい写真も撮れましたわ。明日もスキーに行かれるんだったら、明日も晴れるといいですね。」

「そうですね、今日ほどは晴れないみたいですけど、荒れるまではいかないみたい」

 

 

 

ベースプラザで彼らと別れ、土合駅まで戻った。例の階段を降り、下り列車に乗った。越後湯沢で降りた。やっと携帯の電波が繋がり、明日の天気を見てみた。曇りで、明白な西高東低というわけではないが、多少怪しいとは思った。等圧線の間隔も広く、多分吹雪くまではないとは思った。というわけで、この段階で、天気的に明白な問題があるとは判断しなかった。

越後湯沢は、沿線では数少ない街らしい街だ。コンビニで食糧の買い出しを行い、駅そばを食う。そして、暇潰しに散歩を始めた。行先はというと、ガーラ湯沢駅である。

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鉄ヲタどもにはもはや説明不要だろうが、この駅はガーラ湯沢というスキー場の営業に合わせて開設される冬季の臨時駅で、上越新幹線の車両が越後湯沢からそのままやって来る。両駅間は二キロほど。十分に散歩の範疇である。本来ならスキー客で賑わうはずだが、例の暖冬で越後湯沢ですら積雪ゼロ、したがってガーラスキー場自体営業停止に陥る始末。当然客はなく、時間的に日が落ちているため、もはや廃墟の雰囲気。駅の内部はスキー場らしく広く明るいが、まったく人がいないため、人類消滅的な映画の主人公の疑似体験にもなる。一応駅員はいるが、わざわざ歩いてくる鉄ヲタなどそういるものではなく、どっから来たんだと、およそ人間に投げかけているとは思えないような目つきで、こちらを見てくる。まあ乗り鉄的には、乗ったという事実さえあれば、どう思われようが別に構わないのだが。

 

 

 越後湯沢に戻った。19時になっていた。例年みたく雪があればさすがに宿探しの必要が出てくるが、今日に関してはその必要がないと判断した。上越線上りの水上行最終に乗った。しばらくして、列車は国境の元信号所に停まった。土樽駅である。ここで降りた。

暗くなってはいるが、例によって駅の観察から入る。この駅は、元信号所で、川端康成の『雪国』にも出てくる。駅舎は未だに木造だが、豪雪地帯というのもあり、それに見合った造りになっているな、と感心する。駅舎の入り口にはスプリンクラーがあってチョロチョロ流れていたが、肝心の融雪する雪は全くなかった。

 

さて、宿はというと、駅から徒歩ゼロ分のところにある。そんなに都合が良い宿があるかというと、正確にはない。正確に言えば、その宿は宿ではないが、宿とみなせばそれは宿である。Station Bivouac、要は駅寝である。

 

ここで野宿について少し語ろう。なお、私の定義では、住宅、宿泊施設、キャンプ場以外で仰向けになって寝ることを野宿としている。

私の野宿遍歴は大学に入ってから、要は今年からであるが(まったく自慢にならないが)、野宿への願望は中一からであった。思えば中学のころ、フリーターが野宿をしながら全国を放浪する本を好んで読んでいた。中学のころに比べたら大分過激さも低減したが、野宿願望が潰えたということは当たらない。第一、私がワンゲルに入ったのも、野宿に応用できそうなキャンプスキルを身につけ、最終的には理想の一人旅をやるためだった。もっとも、存外に山にドはまりして、そういう一人旅は多分できないだろうし、しないだろう。それでも、やはり野宿は手段としては全然アリである。やはり金がかからない。人がいなければ盗難等の危険はないし、個人的には場所を適切に選べば誰でもできるという認識である。まあこう言って実際にやる奴は、完全にこちら側の人間だろう。

この時、下沼駅、講義棟の渡り廊下、会津若松駅前の地下歩道、とある市町村の文化会館の軒先の四か所で野宿をやっていた。特に会津若松駅前の件で、度胸がついたように思う。まあ土樽は完全に山ん中で、人家もそうあるものではない。したがって、野宿としては非常にやりやすい。 

 

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 こんな風に適当にマットを敷いて、日記を書いたりして時間をつぶす。下りの最終が21時過ぎと遅いので、それまでは眠れない。最終が出ると、そろそろ寝ようかという気分になり、目を閉じる。しかし、待合室内部の電灯はついたままで、うざったい。消し方が分からず、諦めた。それと、電車は来ないとはいえ、駅のすぐ目の前に上越自動車道が走っていて、トラックの轟音がうるさい。とても眠れたものではない。一応目はつむっているものの、寝落ちできない感覚のまま、時間は過ぎていった。

 

 一時間ほどたっていた。今度はどこか寒くて眠れない。刺すような強烈な寒さではないけれど、外側からじわじわと体の体温を奪っていくような寒さだった。いくら暖冬とはいえ、気温は氷点下近くになっているのだろう。ふと、ワンゲルの鉄ヲタ仲間から聞いた、いつかの冬に厳冬期の大糸線無人駅で駅寝し、凍死した鉄ヲタの話を思い出した。さすがにそこまでの惨劇には至らないだろうと自分を落ち着かせた。そうは言っても、雪はないとはいえ、普通に体温が持ってかれる感覚は理解された。やはり寝るということは、動かないし荷物も持たないから、体力を消費する行為にもなりうる。まあ明日もあるし装備も人並みに揃えたんだから、ここは無理をする必要もない。

とりあえず、越後湯沢のコンビニで水筒に入れておいたお湯をタッパーに注ぎ、持ってきたミニチキンラーメンを軽く食いつつ、冬山対応のアウターのオーバー、高田馬場で買い叩いたアウターのズボンを着た。この気温なら、これを着て荷物を背負って歩く分には大げさだが、寝るうえでは役立つ暖かさだ。いい買い物をしたもんだ。これなら死なない。明日も十分にやってけるくらいに、熟睡できそうだ。そう確信し、今度はしっかりと寝落ちした。