年末の谷川岳④ 12月22日 Sail on, Silver !

ふと目を開けると、不快なまでに眩い蛍光灯の白が視界を突き刺してきた。土樽駅は夜中中光をつけっぱにしているらしい。腕時計を見れば5時15分を指していた。そろそろ潮時だろう。まだ寝たいという欲を抑え、目をさすりながら朝飯の準備に取り掛かる。

 野宿の朝飯だし、ガスを使うわけには行かないので食えるものも高が知れている。それでも、冬山を機にサーモス製の保温性の高い水筒を買っておいたのは正解だった。昨夜の越後湯沢のコンビニでこっそりお湯を水筒の中に入れたので、火を起こさずとも暖かいものが食える。どん兵衛のきつねうどんをに湯をそ注ぎ、麺をすする。別に特段贅沢ではないが、寒いときに食うと身に染みる旨さだ。麺が無くなると、昨晩買っておいた具なしの塩おむすびを投入し、雑炊のようにして汁ごと飲み干して食う。

 寝具や寝間着をザックになおし、日記を書いていたりすると、そろそろ列車の時間だった。ホームに立つと、闇のむこうから青みがかった銀色の閃光が見えた。定時でこの小さな停車場を後にした。

 

 国境の長いトンネルを抜け、土合に戻った。ホームの先の半ば薄暗い駅舎の構内に入ると、思った以上に駅寝客がいた。それも案外、50は過ぎたであろう中年の女性が多かったりする。まあ、駅前には車が何台か停まっていて、純粋に寄り道しただけかもしれないが、寝袋の片づけをしてる連中も少なくとも5人はいた。それも須らく中年の男女だ。いい年して中々図太い神経をお持ちでいらっしゃるものだ。私がこんなことを言える立場にはないだろうが、一応自分の中では、野宿は大学生時代限定の遊びであり社会人以降はやらない、と決めている。今も昔も孤独を愛している節があるが、実際にやってみると、勿論すばらしく楽しいのだが、ワンゲルでみんなでワイワイやりながらやるアウトドアの楽しみを知った以上、知り合いを連れて来たかった、と思うようになった。あるいは、こういった感情は少なくとも少年時代には感じなかったけれど、純粋に気になる人を頭に浮かべて、かの人がかように野宿というような貧乏ったらしいことこの上ない趣味を持っている私の“実態”を知ったならばどう思うだろうか、とか考えてしまう。その人はお嬢さんと形容するに相応しい気品を備えた人であり、どこか分不相応なものに思われてならない。

 実のところ、当時の私の意識は冬山半分、その人半分に向いていたように思う。要は何も考えていない、頭すっ空っぽ、ということだ。まあ取り敢えず今日こそ谷川リベンジして無事に下山して、いつかその人にまた会おうというのが目標であった。土合駅では着替え、パッキングの最終調整等にしっかり時間をかけ、今日も再びベースプラザに向かった。

 

 

 ロープウェイの山頂駅に着いたのは8時45分頃だった。アイゼン・ゲイタ―の取り付け、ピッケルの準備をした。今日は昨日と同じ轍を踏むまいぞ、としっかり装着できているか確認し、問題なくやれそうということが分かった。天神平の積雪は40㎝。相変わらずだ。天気も昨日とあまり変わらない感じの曇り方だった。

 

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9:05 AM , Sail on, Silver !  @天神平

 昨日全く同じルートを辿っているだけに、迷いは全くなくペース配分の具合も大体理解できていた。昨日や塔ノ岳の折とは違い、無理なく適切なペースで順調にやれているという自信があった。登山開始から30分、余裕を残して第一休憩に入った。実はこの時点で、昨日到達点を既に越していた。もっとも夏山のコースタイムからして普通くらいだし、むしろ昨日がいかに無益なる怠慢であったか、というだけの話だが。いずれにしても、トレースがしっかりあってラッセルの必要性が皆無だったこと、天気が比較的良好で昨日同様降雪が皆無だったのは助かった。楽勝コースの天神尾根とはいえ、熊穴沢小屋までは斜面を縫うような道で、踏み外すと深い谷底に消えてしまいそうな不気味さがあった。視界不良なら、踏み外しの滑落もあり得るかもしれない。トレースがなく、雪庇ができていれば尚更だろう。そういう意味では、やはり谷川は冬山一発目で行く山ではないとつくづく感じたが、なるほど、いいタイミングに来たな、と内心ほくそ笑んでいた。

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熊穴沢避難小屋付近から

さらに天気に関しては、私に大いに味方してくれた、と思った。熊穴沢避難小屋の手前当たりから完全に雲は晴れ、思わず立ち止まって見惚れてしまうほどだ。悲しいまでに蒼い空に、真白に染まった高嶺の頂がよく映えた。昨日と比べても雲の量は段違いに少ない。。こんな天気でやれるなんて昨日以上にVじゃないか。しかも熊穴沢避難小屋へも、無雪期と同等のスピードで来れていた。まさに天祐という気分だった。

 

 

 

 

 熊穴沢避難小屋を過ぎると、それまでの斜面沿いを縫うように進む緩やかな坂道ではなくなり、本格的に勾配がきつくなって、いよいよ遮るものが段々となくなっていく稜線上を行くことになる。快調に飛ばしていくが、さすがに斜度が違いすぎて、多少スローダウンせざるを得ない。そうはいっても、中年パーティーが丁度よい休憩スペースを陣取っているため、中々休憩に移れない。避難小屋から20分歩いたところでうまい具合に場所を見つけ、無理せず休憩を入れた。

 Blance Power(カロリーメイトのバッタモン)とかを頬張りつつ、山頂と下の方の様子を見た。避難小屋を出て10分くらいから雲が出始めていたが、今となってはその雲はいよいよ留まることを知らず、山頂は霧中であった。

 このとき、先ほどの晴天が疑似晴天であることに気づいた。所詮は付け焼刃とはいえ、遭難関係の本を見ると確実に目にすることになる疑似晴天という単語。新田次郎を読んでりゃ飽きるほど頻出なパターンである。代表的なものとしては二つ玉低気圧というもので、二つの低気圧がある山を挟むようにしては発生したとき、その山は一時的に天気が回復するが、すぐにまた荒れるというものである。2012年5月の白馬山での遭難事故が有名である。

 

 

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日本気象協会のサイトより

 

 さて、今日の22日が実際に二つ玉低気圧だったかというと、そうではないようだ。実のところ、あの疑似晴天の原因が何たるか、いまだに理解できていない。まあ山の天気は変わりやすい、そういうことだろう。

 

とにかく、熊穴沢避難小屋の時点では疑似晴天だとは全く見抜けなかった、少なくともそうした疑いの目を向けきれなかった。これはある種の敗北であった。他の登山者たちはやっぱ天気持たないネ、的なノリだったからそれを余計感じた。まだ撤退するには早いと思ったし、体力的にもいけると判断したからそのまま登り続けたが、やってしまった、という思いが強くなっていった。多分死なないだろうが、何も学ばずに突っ走ってことの怖さを感じながら、登り続けた。

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天狗の留まり場にて

 11時になって、天狗の留まり場で休む。このあたりまでがきつい勾配だったと思う。標高は1700mを超えている。そしてこのあたりから下の方すら見えなくなった。山頂付近の雲の対流の中に取り込まれたのだろうか。降雪がないだけマシだが、先ほどの休憩地点と比べ、明らかに風が痛い。寒いというより、痛い。視界もこのザマだ。先行するパーティーの列は道標をなし、彼らの足跡だけが私を安心させる。

 さすがにゴーグルを装着して、外していたネックウォーマーをつけて歩き始めた。視界はどんどん酷くなっていくが、トレースだけはしっかりしている。天狗の留まり場以降からは視界を遮るような木らしい木が減っていく。無雪期に行けば森林限界を越えた場所なのかもしれないが、木が生えてない分どこが登山道なのか、斜面なのか見当がつかない。少なくとも、こんな場所に雪庇ができていたら、雪庇だと見抜くことはできないだろう。その点、トレースというのは、道しるべ以上の意味があるように思った。

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あと少し!

 

 それでも、ただただ歩き続けた。ホワイトアウトでどこをどのくらいの距離どの方向に歩いているのかよく分からないまま、ただただトレースを辿った。すると、11時35分頃、前方に茶色の建物が見えた。谷川岳肩の小屋である。冬季は休業しているが、それでも、現在地点が明瞭に把握できるスポットがあるのは、精神的にもかなり大きい。そして、山頂も近い。久々に見た行先表示の看板に、トマノ耳の看板があった。ここまで来たら楽勝、と思ったが、案外遠い。当時はあまり調べていなかったが、小屋とトマノ耳までは高低差が50m以上ある。

 そういえば、一週間前の14,15日の東大のスキー山岳部が西黒尾根から登攀していたことを思い出した。登山地図的には、小屋とトマノ耳の間に西黒尾根への分岐路があるはずだろうが、はて、どこだろうか。ちょっと探りたくなった。トレースを1mほど外れた時だった。それまで激しい対流をなしていたガスが一瞬晴れ、視界が一瞬明らかになった。そして愕然とした。崖だった。要は、稜線のふちに立っていて、稜線からそのまま落ちていこうとしていたのだ。さすがに血の気が引いたが、気を取り直してトレースを辿った。少なくとも冬山初心者の身分である以上は、冬山ではトレースこそが正義である。そう思わされた。

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 11時45分。ついにトマノ耳に登頂した。といってもガスの対流が激しいので、景色を惜しむ余裕も面白みも微塵もなかった。それでも、小学校時代から知っていた名山に登れたことは嬉しかった。山頂付近は写真撮影でまま渋滞していて、山頂の碑から外して写真撮影を楽しんだり、逆に他の登山者の頼みに応じて登頂写真を撮ってあげたりする。五分ほど待って、私も写真を撮って貰った。ポーズは私の高校の体操のサビのポーズを採用した。生徒会長と副生徒会長で有名な高校である。2chの受験板あたりを見れば大抵の事情が掴めるだろう。参照されたい。なお、ワンゲルのLINEにこの写真を送ると、女番長こと某副主将が、生徒会長の悦びのポーズであると形容した。その着想には、さすがに引いた。

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谷川岳トマノ耳 11:51 AM

 しかし、この写真撮影というのが中々厄介なものである。手袋を外さないと難しいのだ。当然、風もあるため飛ばないようにせねばならない。しかし、山頂は降雪がないにしてもクソほど寒い。写真を撮るたびに一気に霜焼けになってしまう。スマホ対応の手袋もあるようだが、それを買う余裕はなかった。

 写真を撮ってもらうまでの間、オキノ耳の方を見据えた。谷川岳の主峰はトマノ耳、オキノ耳の双峰であり、前者が後者の手前にある。当然、オキノ耳に行ってみたいという思いはあった。しかし、例の霜焼けで大分メンタルをえぐられてしまった。

 追い打ちをかけたのはガスが晴れて、オキノ耳への展望が開けたことだ。当時、計画ではコースタイムばかり気にして、あまり高低差に目を向けていなかった。谷川の山と高原地図は縮尺がデカい方なので、高低差が分かりずらい。トマノ耳とオキノ耳の固定差それ自体は15mほど、コースタイムは片道10分だが、視界が開けたことで、鞍部が存在し、しかも50mほど下る必要があるということが分かった。無雪期ならともかく、疲労も考えて、これはトマノ耳で撤退だなと決めた。

 

 トマノ耳から肩の小屋に戻り、休憩を取った。インスタントコーヒーをつくり、口に流し込んだ。うまい。やはり、あったかいもんは正義だ。コンビニのおにぎりも死ぬほどうまい。エネルギー補給は大切である。

 人心地がついたといっても、風が強すぎて、早く帰りたいということしか頭に浮かばなくなった。というわけで、12時10分、速攻で下山を開始した。取り敢えず最初は死に程風が強かった。正直この辺は、あまり記憶がない。ただただ爆速で進んでいたことは分かっていた。天狗の留まり場に戻ると、下方の視界は晴れた。振り返っても、山頂は霧の対流の中に埋もれていた。改めて下方を見渡して、白く染まった峰々、葉や茎が氷で覆われてしまった少し丈のある植物を眺めながら、高度を下げていった。

 

 14時05分。天神平に戻った。取り敢えず登頂の上帰ってこれた。オキノ耳は断念したが、やれるだけやれたという達成感を感じた。天神平のスキー場の自販機でコーラを買い、一気飲みしてゲップする。コーラ自体はさることながら、やっぱ登山の後のこのゲップの味が本当にたまらない。

 一定の充実感を感じながら、ロープウェイに乗り込んだ。車窓を眺めると、だんだん視界から雪の白が消え、木々の黒が目立ち始める。ベースプラザ付近は相変わらず雪が皆無である。娑婆に帰った気分だった。

 

 

 バスで土合駅に戻り、上越線の電車に乗って隣の湯檜曽で降りた。昨日会った中年夫婦が泊まる、と言っていた場所だ。彼らにはついには会うことはなかったが、思い出すと懐かしいものだ。しかし、どうも公衆浴場的な日帰り温泉が見当たらない。Google先生いわく、ここは基本宿泊用の宿が多く、日帰り入浴は14時とかで打ち止めにしているらしい。まあ、比較的小さな湯治場的な温泉街なので、登山客に大挙して押し寄せられても困るのだろう。そのせいか、道行く人もまばらだった。それでも、やはり二日分の疲れを癒すべく、駅から近い旅館に行き、時間外ながら日帰り入浴を頼んでみた。今日は日曜で客が少なくおひとり様なのでどうぞ、とご主人。ありがたい。

浴槽は一つでせまく、五人以上で入ると間違いなく不快に感じるだろう。しかし、それだけに一人でこうまったり時間を使うにはうってつけだ。泉質とかよく分からないけれど、こうのんびり心乱れることなく実質貸切風呂状態で楽しめるのはこの上ない愉悦だ。こういうのもまた贅沢だなぁ。今度来るときは宿泊客としてゆっくり楽しみたい。

 

 

 湯檜曽駅に戻って水上へ。そろそろ腹が減ったので買いだしたいが、水上の駅前は五時半という時間もあってか店の光一つすらついてなく、しかたなく自販機で売ってた豚汁缶とやらを飲み干した。

 高崎行の鈍行ではさすがに疲労で爆睡したが、渋川あたりで目を覚ますと、自己反省会を開始した。まあ、一応の成功とはいえるだろう。暖冬とはいえ何だかんだコースタイム通りだし、体力的には行けるということが証明できたのは大きい。丹沢で痛めた足が再燃しなかったのも、良かった。どうせ石鎚も暖冬で谷川以上に積もることはないのだから、積雪に関してはビビらんでよいだろうと自信になった。昨日の体たらくもあったが、初雪山としては成功と言えるだろう。勿論課題も多い。やはり、疑似晴天の見落としは看過できない問題だった。今後の活動の時、後輩を連れて行ったときにこの手の判断ミスをやらかしたら、それも北アルプス森林限界を越えた稜線だったら。夏山と言えどかなりヤバいんじゃないか?地形の把握も不十分だったのではないか?そんなことを考えた。とにかく、良くも悪くも色んなことに気づけた山行であることには間違えなかった。取り敢えずこの経験を何らかの形で文書に残そう、と思った。

 高崎に着くと、速攻で松屋に入った。死ぬほど食ったような気がする。正確には何を頼んだか記憶にないが、家計簿によれば牛丼ごときで1000円以上使ったのだからまあ食ったんだろう。高崎は、駅の横が旭川みたくイオンが建っていて、私のような貧乏18きっぱーには大変うれしい。ビールとつまみを買った後は、小田原行のグリーン車を奮発して、車内でつまみのせんべいを片手に晩酌をする。気づけばウトウトしたまま寝込んでいて、起きると新橋だった。大分進んだわ、そろそろやなと思いながら、流れゆく東京のビル群を見据えた。

 

 

 

 

 

おわりに

これにて、四回にわたる谷川岳編は終了となります。拙い文章ではありますが、このブログをみてくださった方々、ありがとうございます。

このブログの趣旨としましては、Twitterや友人との日常会話で言うには冗長な上に誰も興味を示さないであろう事柄を、好きなように書き連ねていこう、という点にあります。従いまして、冗長で文才のない文章が延々と続き、苦痛に感じるかも知れませんが、この文章というのは別に誰かに見てもらうことを前提にしてはおらず、まして有名ブロガーになろうという気は全くなく(むしろ地味のままでいい)、一方的なに情報発信として行っているだけであります。そのため、これからも文体とかは特に改善する気もなく、好きなように書いていこうと思っています。

次は年末の石鎚山の旅を書いていこうと思います。こんなしょうもないブログに興味をお持ちの物好きな方々がいらっしゃいましたら、これからもどうぞよろしく。