国内ひとり西遊記 ②石鎚山(上)~参宮と試しの鎖~

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試しの鎖

 時計は大体4時20分を指していた。まあ区切りが良いのでここで起きることにした。地面を見る限り雨は降っていないが、星や月が見えないから、曇っているのかもしれないと思った。公園の東屋の下には正方形の木椅子があり、その横と東屋の屋根の軒先のわずかなスペースにマットを敷いて寝ていたから、降水されると多少は濡れるかもしれなかった。そいう意味ではなんとか耐えたが、登山中の天気はかなり怪しそうだ。

 今朝もまた、サーモスに入れたお湯を用いて、インスタントのラーメンとコーヒーで体を温める。土樽駅ほどの寒さはさすがにないが、それでも一桁台はつらい。木椅子に腰かけながら、ふぅっと息をつく。歩行者は誰もなく、時たま車が猛スピードで駆けていく音がどこかで響くだけだ。こんな朝早くに散歩しようという気が湧く爺さんも少ないのだろう。関東なら六時でもまあまあ明るいけれど、ここは冬至から間もない西国。六時半でもまだ暗闇の中である。

 

 荷物を片付け終わったのは5時15分。このまま西条駅周辺でダラダラしても良かったのだが、じっとしているのが苦手な性分だったので、ちょっと寄り道してみた。伊予西条から予讃線で一駅進んで石鎚山駅で降りた。この駅から十数分歩いたところに、石鎚神社という神社があるのだった。

 今から行く石鎚神社は、厳密には口之宮本社と言って、石鎚神社の総本山的な位置を占める。石鎚神社はこの口之宮本社、中宮成就社、奥宮頂上社、土小屋遥拝殿の四社を総称した呼び名だそうで、成就社と頂上社は今回の山行路の途中にある。多分だが、かつて交通が未発達だった時代は、修行者たちは、口之宮本社→成就社→頂上社→遥拝殿という風にお参りをしていたのではないだろうか。

 

 

 話は逸れるが、11月に浪人時代の友人に会いに、東大の駒場祭に行った。大学に入ってからも、彼には五月祭でも会い、10月には日本Sを一緒に見に行こうと第五戦のチケットを調達したのに、●●●●でダメになるという不遇があった。

相変わらず品格があり元気そうで何よりだったが、彼も彼で部活の売り子で忙しく、そこそこ話して別れた。そののち、講義棟内の企画展示を見に行き、神社研究会の展示に足を運んだ。その展示内容は色々あったが、私の目に飛び込んだのは、全国各地の神社の写真集だった。何の気なしに手に取っていると、穂高神社があった!そう、奥穂高岳山頂にあるあの神社だ(⇐p.s.正確には違った。穂高神社自体は、上高地から約一時間の明神池のほとりにある(20年九月に訪問)。まあ奥穂の山頂も祠っぽい感じになっているので、それを見たのかな?と推測)。急に夏の北ア合宿の思い出が一気に喚起され、同時に神社巡りと山を合わせても良いな、と思いながら各地の神社の写真を眺めていた。私の地元周辺には太宰府天満宮など歴史ある神社が多く、神社巡りに関しては割と興味はあった。

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奥穂高岳山頂

 

 あまりに食いつきが良かったのだろうか、一人の女性が近づいてきて、楽しそうですね、神社に興味をお持ちですか、的なことを尋ねてきた。ここの部員のようだった。

「はい、私ある大学で登山やってて、この穂高神社、夏に実際に行きましてね、こう見てると懐かしいな、と思いますね。山やりながら神社巡りっていうのも良いなあと改めて思いますよ。にしても、これどなたが撮られたんですか?」

 「先輩が撮ったのもありますけど、この辺の写真は私が撮りましたよ。長期休暇時に合宿で神社巡りをしたんです。それと、実家が山口なので、帰省ついでに神社巡りをしたりもしましたね。」

 「あ、山口ですか。いや、自分福岡なんで近いですね。」

 「ほんとですか。その、山口の神社って分かりますか?」

 「そうですね、有名どこだと松陰神社とかですかね、あるいは角島近くのなんだっけ、あの岬の方にいっぱい鳥居が並んでいる…」

 「元乃隅稲成神社ですね!結構ご存じですね。」

 「いえいえ。まあ地元が昔からの土地みたいで、それで古い神社が多いんですよ。有名どこだと太宰府天満宮がありますけど、筑紫神社ってのもありましてね、ここが自分の地元の神社なんですよ。なんでも道真公が左遷されたとき一人従者をつけて良いと、そんで道真公に随伴した従者が、その筑紫神社の神主になったって話がありまして。こういう話を子供の頃から聞いていると、やっぱ自然と神社に興味を持ちますね。神社の歴史とかについてあまり専門的に調べたりはしないですけど、やっぱ面白いですよね。」

 

そんなこんなで互いの地元の神社の話だとかで盛り上がっていると、例の写真集に四国編があることに気づいた。案の定、一枚目は香川の金毘羅神社だったが、その次が石鎚神社の口之宮だった。当時、私はこの口之宮の存在を知らず、成就社と頂上社だけが石鎚神社であると思っていた節がある。

 「四国にも行かれたんですね。」

 「はい、割と近いので。金毘羅の階段はきつかったですね。観光客も多いですしガヤガヤしてました。逆に、石鎚は静かで良いところでしたね。」

 「え、石鎚山に登られたんですか?結構きつかったんじゃないですか?」

 「いえ、麓に神社があるんですよ。流石に登りには行かなかったですね。」

 「なるほどですね。でも石鎚に行ってらっしゃるのは羨ましいですよ、やっぱ関東にいると四国になんて中々行けませんし。それでも、たしかに立派なもんですね。石鎚に登る機会があれば、その時には口之宮にも寄ってみようと思います。」

 

 

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石鎚山駅。右手奥のちょっとした突起は、石鎚山(?)

 閑話休題石鎚山駅に来たのも、勿論口之宮に行くためだった。当初の計画では27日はムーンライトながらで横浜を出るつもりであり、乗りつぶし事業の兼ね合いから口之宮は断念せざるを得なかったが、10時打ちを怠ったせいでながらの指定券を取り損ねてしまった。皮肉にも、そのおかげでこうして口之宮に行く時間が取れた。なんなら旧友にも会えた。これはこれで塞翁が馬というやつだろう。

 石鎚山駅では、予想に反することが二つあった。一つは古めの駅舎があることだ。何となく勝手に駅舎なしの雰囲気を感じていたから、木造駅舎厨からすると嬉しい。あるいは、まあ次の上り列車で折り返すわけだから、しかも客もいなそうだし上りが来るまで下りも来ないから、この待合室にザックをデポして(置いて)行くのも悪くない。負担軽減にもなる。ところが、内部に入ろうとドアに手をかけ内部を窓から覗くと、お遍路さんだろうか、少し汚れた装束に身を包み、笠やらを積んだ歩荷さんが持つような木造りの背負子を置いて眠っていた中年男性がいた。松本清張の『砂の器』に出てくるような本浦千代吉、その映画版で千代吉を演じた加藤剛に似た雰囲気があった。托鉢僧かもしれない。さすがにこれには私も驚いた。

 しかし、不思議と不快には感じなかった。まあ私自身場所は違えど同じことはやっているわけだし、10月に会津若松の地下歩道で浮浪者らしき旅人の横で野宿した経験がものを言ったのかもしれない。あるいは、そういう宗教的情熱を持ってお遍路をするその姿に心を打たれたのかもしれない。

 意を決して内部に入り、サラッと駅舎内部の観察を済ませた。幸い、彼は起きださなかった。さすがに彼の素性が分からないだけに、デポする自信までは湧かなかった。それにしても、この待合室は両側から締め切りが可能だし、木製の長椅子もあるから、駅寝にはピッタリだなとも思った。実際、彼はこの長椅子の上にいた。冬場にやるのが良いかもしれない。こういう状況でも、平気で駅寝の可否を考えてしまうこの性分、到底治りそうにない。

 

 駅を出て国道を横切りしばらく歩くと、鳥居が見えた。鳥居が見えた後もしばらくは生活道路みたいな雰囲気だが、暗かったのもあるのだろう、眼前に東大寺南大門みたいな立派な門が聳えていた。いよいよ拝殿かな、と思ったが、参道はまだまだ続く。時間的にまずいと思い、参道脇にザック等をデポし、身軽になって歩く。太宰府天満宮みたいに門と拝殿が近いものだと錯覚していたため、痛い目に遭った格好だ。

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石鎚神社・口之宮本社

 駅から歩いて15分ほど。やっと拝殿に着いた。暗闇の中あたりには誰もおらず、どこか神秘的な雰囲気があった。6時15分を回っていたにも関わらずあたりは真っ暗で、人間を含め生物の存在一つ感じさせない世界線だった。そこにあるのは全くの孤であり、あたかも地上で一番冥界に近い場所と思わせるような不気味さすらあった。

 

 

 

 九時になった。山頂行のロープウェイは段々と高度を上げていった。谷川の時もそう感じたが、ロープウェイを使って山に行くと、しばらく下界からサラバだな、という意識が出てくる。それが「しばらく」であれば良いのだが。改めて、下界に思い残すことはなかっただろうか。西条に戻った後、好物のペプシを一気飲みした。七時になって大分明るくなり、雲の向こうに岩々しい稜線が見えた。岩稜の黒っぽさの中にも、雪の白がかかっていいた。あの峰々がどの山に対応していたのだろう。はっきりとは分からないが、今こうして近づいている。谷川とは違い、登山者はけた違いに少ない。ロープウェイの山頂付近の先にはスキー場があって、この日はスキー開きのフェスをやっているようだったがこの暖冬、スキー客もそんなには見られない。ロープウェイの客は私を含め8名ほどだが、誰も喋らない。代わりに、積雪らしい積雪が見られない斜面を見つめては、嘆息のような眼差しを向けるだけだった。

それでも山頂駅では歓迎ムードであった。抽選会の券を貰ったり、親子連れの子供にはお菓子が配られていた。抽選会の時間を見ると14時とかだっただろうか。間違いなく登山中であり、ただの紙屑になるのだと思うと虚しいが、それを突き返す気にはなれなかった。

 

 一応、今回の登山計画を示そう。まず、9時20分ごろを目途に山頂駅を出発、その後、成就社があるピークへ。ここから本格的な石鎚登山を開始し、弥山をピストン、天狗岳は余力があればGoという形にした。四時くらいに成就社に戻り、成就社付近の山小屋風旅館に投宿という形にした。途中に鎖場が数か所あるようだが、当初は全てスルーの方針でいた。成就社・弥山往復の無雪期のコースタイムは鎖場を無視すれば四時間半、成就社発は10時だから、この計画に従えばまあゆとりのある計画と呼べるだろう。

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瓶ヶ森

成就社までは単調な登りの林道歩きである。ところどころ積雪や氷結が見られるがアイゼンまでは不要そうだ。とはいっても滑るからやはり多少危険ではある。しばらくは視界が開けており、私がいる山塊の反対側に、瓶ヶ森(標高1897m)が見える。この時間帯は比較的雲の動きが穏やかで、展望も効いた。一方石鎚の山容は未だに見えない。成就社がちょうどピークになっていて、眼前の斜面がその先の弥山の姿を隠しているのである。そんなうちに樹林帯に入り、山容が全く見えなくなった。

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石鎚神社・成就社

 十時手前になって、大鳥居が見え、その先に商店が見えてきた。常住屋支店白石旅館の文字だった。いわば成就社の門前町みたいなものだ。この白石旅館が本日の宿だ。この旅では唯一宿に金を掛けている。ここで旅館泊を選んだのは、今にして思えばまだ良心が残っていたと言えるだろう。何なら今日の内に下山して松山まで行き、道後の湯に浸かってそっから野宿というトンデモ計画もあったが、さすがに却下したようだ。取り敢えずこの白石旅館に登山届の記入所があるので、これを書いて記入箱に入れた。それが終わるとすぐそこの成就社でお参りをした。白石旅館で山頂で飲む用のコーラを買って、10時20分、予定を多少オーバーしたが、石鎚山への門をくぐった。

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さあ、登山開始!

 

 

 成就社を出ると、まずは八丁鞍部という下り坂を行く。樹林帯というのもあり、積雪はへぼい。むしろかなり融雪がひどく、アイゼンを脱いだ。コースタイム通りに鞍部に着いて、登り返しになった。急登というほどの坂では決してないが、道の状況が悪かった。積雪がないからよいというわけでもなく、完全に解けるとべちゃべちゃになってて歩きにくくましてアイゼン歩行には向かず、かといって部分的に解けると氷結して滑るからアイゼンが要る。こういう悪路が交互に続くから、かなり神経を使う。トレースがしっかりしていた谷川の方が楽だと感じた。

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試しの鎖。意外と長い。

 それでも、おおむねコースタイムの水準通りに歩いていた時だった。目の前に鎖場が見えた。試しの鎖である。ロープウェイから登山する場合、順に試しの鎖、一の鎖、二の鎖、三の鎖と鎖場が4つあるのだが、この試しの鎖も直登67mと、名前の割に全然手ぬるいものではない。

 それはそうと、この岩壁を見てふと立ち止まり、思案を始めた。コースタイム的には良いペースだ。それに、よくよく考えりゃどうせ旅館泊だし下山四時を厳守する必要もない。要は時間的に余裕アリだ。天気も、そうは荒れなさそうだ。……技術的にはどうか。こればかりは分からない。岩場は夏の槍穂高以来だ。あの時の感覚が戻れば、多分やれる。

 色々考えて、行くという決断を下した。後から思い返してもこれが登山者として正しいか分からない。軽率であるのは間違いないし、少なくとも安全登山という面からは間違っているだろう。とにかく、このときはノリで行ってしまったの感がある。ともあれ、登り始めたのは11時10分のことであった。

 鎖場の岩壁はところどころ氷で覆われていた。それも岩と岩との隙間も覆われている箇所も見られた。無雪期はこの隙間を足場にするわけだから、かなり厳しい。それでも最初の内はうまいごと、特別な工夫も必要もなく登れた。

 問題は登り始めて10分足らずで起こった。それから上の部分が岩壁が完全に氷で覆われて、どういうルートで行くべきか少し悩む羽目になった。15mほど登っていたように思うが、これは撤退で良いだろう。そう思ってどう足をかけて下ろうか、と足元を見た時だった。

 

ん、ん??????????????????????????

右足のアイゼンがない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 これはどういうことか。冷静になって考えてみると、鎖場に入る前に一度アイゼンを付け直した。とすると、脱げたとしてもこの岩壁に残っている可能性は高い。改めて下方を見つめた。すると、5m下方くらいにオレンジ色の物体が見えた。間違いない、アイゼンだ。側の斜面を転がっていればそれはもう死みたいなものだから、取り敢えず首の皮一枚繋がった格好だ。目標は見つかったが、さて、どう下るか。まず、岩壁が垂直に近いため、ザックを置いて下るという手段はとれない。この時点で身体的な負荷が大きいし、荷物が邪魔で下方を確認しつつ下るのが難しいという問題点もあった。また、右足のアイゼンがないため、三点支持のうち一つは死んだようなものだ。ここは両手の支持が重要になると直感した。経験的に両手を鎖に委ねると力が集中して危ないと分かっていたので、片方はピッケルを握ってリスクを分散させることにした。

 私のやり方が正しいかは分からないが、支持が不十分なら重心が岩壁から離れ、バランスを崩してそのまま後頭部から落下するだろう、とは容易に了解された。正直、槍穂高の時より死を感じた。風を感じないだけマシだったが、こんなところで立ち止まるのもまた癪だった。意を決して足を下方に動かした。足で探るような感覚で安定した足場を見つける。見つかったらそこに体重を徐々にかけていく。その繰り返しだ。

 無雪期に部活として岩場を下るだけなら、何のこともない行為だ。だが、氷面で滑るという恐怖、同行者なく自分で足場を見つけなければいけない孤独感が、一歩一歩の足取りを重くし、時間がかかる。それでも、何とかアイゼンを拾えた。下降できた。問題はこのアイゼンをどこで付けるか。あと10mくらい下れば先ほどの登山道まで戻れ、スペースも十分にある。だがこの時、もう下りたくない、と思った。こういう岩場においては、下りの方が神経を使うということで、登りより下りの方が難しい。そんな理屈が思い浮かばないほど、とにかく下りたくない、という気持ちの方が勝った。アイゼンが脱げた場所も、わずかながら平だったことも幸いした。ここで半ば強引にアイゼンをつけることにした。まずはザックを一旦置き、落ちないように斜面に押し付けるように背中で力をかけた。その上で、アイゼンを付け直した。多分、アイゼンもしっかり装着できた。一安心して、ホントは山頂で飲むはずのコーラに多少手を付けた。ふう。

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本文中の停止地点。ここから一旦左側の土の斜面を直登した

 今思うと、普通に考えれば、来た登山道を戻って鎖場の巻き道を行くべきだろう。ところが、この時の私は、再び鎖場に挑んでいた。まあ私も晴れて山バカになったものだ。同じ轍は踏むまいと、時折足元を見ながら登って行った。先ほどのアイゼン紛失に気付いた地点に戻ると、改めてルートを見定める。鎖がある部分の岩場は完全に氷結していて、アイゼンが効くか微妙だ。ふと、横の斜面をみると、土の斜面に少しばかりの積雪があった。これは、岩場をそのまま通過するよりマシではないか?そう考えつくと、行動は早かった。この土面が崩落してはマズいから極力岩場に近いところを選択しつつも、基本的に足場はこの斜面を利用した。左手にピッケルを持ってこの斜面に刺し、一方右手は鎖にかけた。結果的にこれが奏功した。土面の積雪が薄いながらもしっかりしていたため、足場が安定し、スイスイ登れた。しばらくして土面が鎖から離れたが、難所は越えたようだ。落ち着いて足をかければ、無理なく登れる!

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見下ろすと、こんな感じ

 時間はかかったが、正午ごろ、試しの鎖のピークに着いた。50分もかかってしまった。改めて登ってきた鎖場を見下ろすと、凄まじい急斜面だった。よく登ったなこりゃ、という感想しかなかった。いよいよ石鎚の山容も拝めるのでは?という期待もあって鎖に手をかけた部分もあった。しかし、あいにく頂上は完全にガスっていて、何も見えない。この段階で、登っても展望はないなと達観した。これはガスが濃すぎる。まあ天気が崩れてないだけマシと言えよう。そういうことにしよう。

 

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夜明峠付近。ガス、ガス、ガス(#^ω^)

 鎖場のピークから岩場を下り、12時15分ごろ、本道に復帰した。寄り道が過ぎた。さあ、戻ろう。やはり本道は楽だ。軽快に進んだ。しばらく歩くと視界が開けたが、やはりガスが酷くてどうしようもなかった。そろそろ夜明峠だろう。そんなことを考えていた時だった。突然、足が悲鳴を上げた…