年末の谷川岳① 逡巡

 


 

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ついに来てしまった…

 上越線で水上まで来たとき、改めて遠くまで来たことを感じた。いくら19年度の冬が暖冬といえども、ここまで来ると、車窓の山々も白く化粧づく。平野の九州人が滅多に見ることがない、白銀の世界がそこにはあった。水上駅周辺でさえ全く積雪がなかったことには軽く拍子抜けしたが、それでもあの山にひとり踏み入れるのかと思うと、身震いがした。そう。いまから冬の谷川岳をめざすのだ。

 

 

 しかし、まあ計画段階からして無茶苦茶な登山だった。第一、前述したように九州人だから、そもそも雪に慣れがあるわけではない。また、登山経験も体力もそんなにあるわけではない。山自体は高校時代に友人と月1くらいのペースで行っていたが、せいぜい400~800mほどの低山ばかりだった。大学に入ってワンゲルに入り、金峰山北岳、そして槍ヶ岳穂高岳などに行かせてもらったとはいえ、元々体力には自信の無い方だった。そして最大の問題点は、同行者がいない点だ。

 

 そもそも、うちのワンゲルは冬山には行かないことを前提としている。当然金がかかるため誰も行こうとしなかったというのはあるだろうが、代によっては現役時の冬山を禁止していた時代もあったらしい。こんな状況では、部内から同行者を求めること自体無理な話であった。

 

 私自身いつから冬山に行こうと思い始めたのか、明瞭な記憶はない。ただ、9~10月にかけては山から離れてしまい、そのために槍・穂高縦走の記憶が蘇って山に行きたくなり、しかもそれがやたらレベルの高い方向に進んでしまったのだろうか。あるいは、単に冬山に行く自分に自惚れたかったのだろうか。多分両方だろう。とにかく、11月の中旬ごろには、冬山に行こうかなあとおぼろげに決意した。そして、その到達目標を、

       石鎚山

に決めた。やはり、西日本最高峰(1982m)というのが大きい。それだけで征服せねばならぬ対象に思えた。また、久々に岩場をやりたかったのもある。しかし、さすがにいきなり石鎚はヤバい。そこで、石鎚の前哨戦として、関東の山を攻めることにした。いろいろ思案した結果、

       赤城山

に決めた。そう、この時点では、谷川に行こうなどとは考えていなかった。否、当初は考えすらしなかった。谷川はヤバそうというイメージが強く、谷川よりは幾分易しめな赤城に行こうというのが肚だった。それでも谷川に行ったのは、やはり19年度の暖冬のによる部分が大きい。二週間前になっても定点観測のカメラにも積雪は認められず、中期の天気予報を見ても積雪の可能性を感じない。このあたりから、赤城では訓練にならんと考え始め、谷川を検討し始めた。そして、赤城の積雪が望めなくなり、一週間前ごろには谷川アタックを決めた。だがこのことは、まだ先の話である。

 

 

 実のところ、冬山に行くと決めてから、次第に不安に苛まれるようになった。そもそも夏山登山でさえ体力的にギリギリだったし、槍・穂高も晴天だったからよかったものの、少しでも天気が崩れれば滑落の危険も高い。雪庇やホワイトアウトといった冬山特有の問題もある。そしてこれらを一人で対処しなければならない。こうしたプレッシャーが次第に重くのしかかってきたのである。そして、このことをワンゲルの山仲間に言うこともで出来なかった。ワンゲルの連中は私の体力は大したことはないことを知ってるし、全力で止めに来るだろう。冬山で事故られれば、それはワンゲルという組織の問題になりかねず、まして事故る可能性の高い初心者一年生を放っておくとは到底思えない。そんなわけで、高校の友人だけにこの件いついて話し、彼に遺書を預けようとも、一時は本気で考えた。

 

 しかし、やはり部員に言わないのはまずいと思った。何だかんだ世話になっとるし、このまま秘密を秘密のままにすることは、私の性質からして無理だと思ったのもある。そこで、次期部長の先輩に伝えることにした。彼も私と同様に山は大学からだし、彼自身も冬山に興味がないでもないと言っていた。実際彼に話すと、お前がか、意外やな、でも良いんじゃない、と言われた。悪い感触ではなかった。とりあえず、私としてはワンゲル部員にこの件を伝えられたことにほっとした。そしてこの日を以て、私は冬山への挑戦を明確に決意したのである。